俺のエロ体験談ではなくて、消防の頃に目撃した両親の悲しいエロ体験談です
未だに、おそらく一生忘れられない
両親のセックスの話で恐縮なんですが、20年くらい経った今でも、昨日のようのことに思い出します。
少学5年の夏休みが終わりの頃でした。
いつものように飯を食って風呂に入って一旦寝たんですが、なんか夜中1時頃になっても寝つけませんでした。
で、何か食おうかなと思いつき、1階の居間に行くことにしました。
階段を降りかけたところで、両親の寝室のドアが5センチくらい開いていて、何やら騒がしい(?)声が聞こえました。
俺は、既に何回も、声と気配を感じたり目撃していたため、ある意味(?)慣れていました。
時には、部屋に帰ってオナニーのおかずにしていたので。(笑)
だからその時も、「あ、またヤってるのかな。でもドアしめろよな~!」と、
半分ムカツキながらも、いつものようにスケベ心がムクムクわいてきたので、
抜き足差し足でドアの隙間に近寄り、息を潜めて、中のようすをうかがいました。
この日は、月の光がとても明るくて、部屋の中はわりと鮮明に見えました。
ベッドの上で、パジャマ姿の父が、あお向けに寝ている母に覆い被さるようにしていました。
セックスする前かした後かはわかりませんが、抱き合っていました。
何故か母はすすり泣いていました。そんな母を父は抱き、キスしたり頭を撫でながら、
「大丈夫や。何も、心配すんな。○○(俺)も○○(妹)も、ええ子やから」
「俺がついとるから、何も心配すんな。大丈夫、大丈夫。愛してるから。待っとるから・・」
「心配すんな○○(母の名前)愛しとる!俺がついとるから!」
などと、大きな声で語りかけていました。
やたらと「大丈夫」とか「心配すんな」を繰り返す父に、
俺は何か、いつもと違う雰囲気を感じていました。
なんか、切羽詰った雰囲気でした。
その後、母が半分叫ぶように、
「○ちゃん(父の名前)、私怖い・・!嫌や~。お願い、ずっと抱いてて!怖い!」
と言いました。
そしたら父が、
「アホ!おまえがそんな弱気でどうする!絶対戻ってこような、大丈夫やから!」
と叫ぶように言い、なんか、父まで泣き声っぽくなってきて、二人で抱き合って大泣きしはじめました。
俺は唖然としましたが、目が話せなくてそこから動きませんでした。
しばらくしたら、母の泣き声がなんか喘ぎ声ぽくなってきて、フッと見ると、
いつの間にかパジャマを脱いだ両親がヤってました。
父は何度も母の名前を呼び、今まで見た事もないような優しいしぐさと声で、母を愛撫していました。
母は喘いでいるだけでなく、やっぱり泣きつづけていました。
「絶対直るから。絶対良くなるから。俺がついてるから!がんばって治そうな。
正月になったら、また○○(俺)と○○(妹)とお前で、グアムあたり行こうか!なぁ!」
と、父が母に語りかけました。
その時になって、俺は母が何か病気かケガをしていて、ちょっとヤバイ事になってるのだということを、初めて知りました。
母ちゃんヤバイんか?どんな病気なんや?何なんだ一体!!と、激しく動転しましたが、
俺は何故か一歩も動けず、声も出せないまま、両親をそのまま見ていました。
そうこうしているうちに、母がいつのまにか父の上に乗り、腰を動かし始めました。
ふとんがほとんど剥がれていて、揺れるオッパイが月の光で丸見えでした。
母は泣いているようにも笑っているようにも見えました。
「○ちゃん(父)と結婚して、私とっても幸せや・・」
みたいな事を、母は言いました。
何故かその言葉で、俺は、勃起しながら泣いてしまいました。
その後、どのくらいその場にいたか覚えてませんが、気付いたら俺は自分の布団で泣いてました。
その夜は、結局一睡もせずに終わってしまいました。
その翌日、ばあちゃんが家にきました。
母は、
「お母さんしばらく病院いくから、ばあちゃんにご飯つくってもろてね」
みたいな事を、普通に明るく言い、病院に行きました。
俺は、頭が真っ白になりました。
妹は全然わからないみたいで、
「いってらっしゃーい!」
と元気に送り出しました。
母は、そのまま入院し、11月に亡くなりました。
末期の膵臓ガンでした。38歳でした。
父は、男手ひとつで俺と妹を育てあげ、妹を嫁に出した4年前、母のところに行きました。
俺は今、嫁さんとこの家に住んでます。
心なしか、両親の寝室(今はほとんど物置?)に行くと、嫁さんとケンカしていても、優しい気持ちになり、すぐに仲直りできる感じがします。
嫁さんもそう言ってます。